亡くなった人に夢で呼ばれるとき。届く夢と、届かない夢の話

亡くなった人に夢で呼ばれるとき。届く夢と、届かない夢の話

母が亡くなってから、何年も経つ。それなのに、今でもときどき夢に出てくる。

電話がかかってくることが多い。受話器の向こうで母が笑っている。生きていた頃と同じように話す。それで私は、駅に着くから迎えに来てね、と頼む。

その瞬間、ぷつりと切れる。

シチュエーションは毎回少しずつ違うけれど、終わり方はいつも同じだ。こちらが何かを頼んだところで、通話が切れる。

目が覚めて、また切られた、と思う。冷たいな、とも思う。それだけだ。泣くわけでもないし、何かの知らせだと身構えるわけでもない。もう何度も同じことが起きているので、そういうものとして受け取っている。

亡くなった人が夢に出てくる。名前を呼ばれる。何かを言われる、あるいは言えないまま終わる。そういう体験を検索してここにたどり着いた方は、たぶん今、似たようなことを考えているのだと思う。あれは何だったのか。何かの知らせなのか。まだこんな夢を見る自分は、どこかおかしいのか。

この記事では、その三つについて書きます。

亡くなった人の夢には、大きく二つの見方がある

亡くなった人が夢に出てくるという体験は、古くから世界中で語られてきました。解釈は大きく二つに分かれます。どちらか一方が正しいという話ではなく、両方を知っておくと、自分の夢を見る目が増えます。

心の側から見る

心理学の立場では、故人への思いや、渡せないまま残った感情が夢になって出てくると考えます。

言えなかったこと。謝れなかったこと。もっと会っておけばよかったという気持ち。そういうものは、日中は仕事や家事に押されて表に出てきません。眠っている間だけ、順番が回ってくる。

この見方でいくと、夢は故人からの通信ではなく、自分の内側で起きていることになります。冷たい説明に聞こえるかもしれませんが、私はそうは思いません。自分の中にその人がまだ生きているから夢が作れる、ということでもあるからです。

見えないものの側から見る

一方で、故人が何かを伝えに来ている、あるいは見守っていることを知らせに来ている、という受け取り方もあります。

私はこちらを否定しません。ただ、どちらか一方に決めなくてもいいと思っています。夢を見た人が、どちらの見方で楽になれるかのほうが大事です。

同じ夢でも、心が作ったものだと考えて安心する人と、会いに来てくれたと考えて安心する人がいます。決めるのは他人ではありません。

呼ばれる夢のパターン

呼ばれ方によって、受け取り方の目安が変わります。あくまで目安であって、当てはめる必要はありません。

穏やかに呼ばれる

故人が笑っていたり、静かに名前を呼んでいたりする夢。安心してほしい、という方向に受け取っていい夢だと思います。

祖母や祖父が出てくる場合、こういう穏やかな形が多いようです。心配して様子を見に来た、という感じの夢。

真剣な表情で呼ばれる

何か言いたそうにしている、切迫した声で呼ぶ。こういう夢を見たときは、注意喚起として受け取る考え方があります。

ただ、私はここに一つ足したいことがあります。こういう夢を見るとき、たいてい本人が疲れています。睡眠が浅いと夢の記憶が残りやすく、内容も緊迫したものになりやすい。故人が警告しているのか、自分が限界に近いのか、区別はつきません。

どちらにしても、やることは同じです。休んでください。

手招きされる、連れて行かれそうになる

一番怖い夢です。ついて行ってはいけない、と昔から言われます。

この点については、後で改めて書きます。

届かない夢のこと

ここからが、この記事で一番書きたかったところです。

亡くなった人の夢について書かれた記事の多くは、故人が呼ぶ側として書かれています。呼ばれた、伝えられた、メッセージを受け取った。

でも実際には、その逆の夢もあります。

こちらから話しかけたのに、返事がない。頼んだのに、応えてもらえない。触ろうとしたら、その手前で目が覚める。会えたのに、続きがない。

私の夢がまさにそれです。電話が繋がって、母が笑っていて、生きていた頃と同じように話す。それで私が何かを頼む。迎えに来てね、と。そこで切れる。

目が覚めるたびに、冷たいな、と思います。

でも、これは正確な夢だとも思っています。母はもう迎えに来られません。そのことを、夢が毎回きちんと伝えてくる。夢の中でだけ都合よく叶えてくれたりはしない。

もし夢の中の母が駅まで迎えに来てくれていたら、目が覚めたときのほうがつらいはずです。だから私は、冷たくてよかったと思っています。

同じように、応えてもらえない夢を見て、拒まれたように感じている方がいるかもしれません。あれは拒絶ではないと思います。夢は、いなくなったという事実を、そのまま形にしているだけです。

何度も見るのは、おかしいことではない

繰り返し同じような夢を見る場合、より強いメッセージがある、という説明をよく見ます。

私はその説明に、少し補足を入れたいです。

私が母の夢を見始めたのは、亡くなってすぐではありません。かなり時間が経ってからです。そして今も、ときどき見ます。何年も経っています。

亡くなった直後だけ夢を見て、そのあとぱたりと止まる。悲しみには期限があって、そのうち終わる。そういうものだと思っている方が多いのですが、実際はそうではありません。

何年も経ってからまた夢に出てくる。命日でもなんでもない日に、ふいに出てくる。これは異常なことではないです。

もし今、亡くなってずいぶん経つのにまだ夢に見る自分をおかしいと思っている方がいたら、そんなことはないとお伝えしたいです。私もそうです。

繰り返すというのは、その人との関係がまだ続いているということでもあります。終わらせなければいけないものではありません。

呼ばれたらついて行ってはいけない、について

手招きされる夢を見て検索する方は多いと思います。ついて行くと死ぬ、という言い伝えがあるからです。

これは俗信です。夢でついて行ったから死ぬ、という因果関係を示すものは何もありません。

ただ、この言い伝えが長く残っているのには理由があると思っています。こういう夢は、心身が弱っているときに見やすい。昔の人は、そこに気づいていたのではないでしょうか。

だから、こう読み替えるといいと思います。ついて行ってはいけない、ではなく、そういう夢を見たときは休みなさい、と。

言い伝えの中身は迷信でも、伝えようとしていることは間違っていません。

夢を見たあと、どうするか

急いで何かをする必要はありません。ただ、やっておくと後で役に立つことがいくつかあります。

覚えているうちに書いておく

夢はすぐ薄れます。起きてすぐ、スマホのメモでいいので書いておいてください。

内容だけでなく、目が覚めたときにどう感じたかも書いておくと、あとで読み返したときに意味が変わってきます。私の場合、冷たいな、と思ったことがそのまま記録になっています。

何度も見るなら、共通点を探す

私の夢は、電話が切れるという形がずっと同じでした。シチュエーションは違っても、終わり方が同じ。

それに気づいたのは、何度か見たあとでした。共通点が見えると、その夢が何を扱っているのかが少し分かります。

言えなかったことがあるなら、言う

仏壇でも、お墓でも、部屋でひとりでも構いません。声に出さなくてもいいです。

夢に出てくるのが、渡しそびれた言葉のせいだとしたら、渡してしまえばいい。効果があるかは分かりませんが、やって損はありません。

つらいときは、人に頼る

夢のせいで眠れない、日中も引きずる、生活に支障が出ている。そういうときは、ひとりで抱えないでください。

グリーフケアや、死別の悲しみを扱うカウンセリングがあります。夢の相談として行っていいものです。おかしなことを言っていると思われるのではないか、という心配は要りません。

最後に

亡くなった人が夢に出てくることについて、意味を一つに決める必要はないと思っています。

会いに来てくれたと思ってもいいし、自分の心が作ったものだと思ってもいい。日によって違ってもいい。私も、そのときどきで違うことを考えています。

そして、前を向かなくても大丈夫です。

亡くなった人の夢についての記事は、たいてい最後に、前を向いて生きることが供養になる、と書いてあります。私はその一文が、まだ前を向けない人を追い詰めることがあると思っています。

何年経っても夢に見ていいし、そのたびに冷たいなと思っていいし、まだ悲しくていいです。

夢に出てくるということは、その人がまだ自分の中にいるということです。追い出す必要はありません。


書いた人:よもぎ かたちのない図書館では、目に見えないものについて少しずつ書いています。

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